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この記事とブックマークコメントから、大衆はメディアによって意図的に誘導された考えに同意しやすいことが分かる。 - zm_nouveau のブックマーク / はてなブックマーク
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id:deztecjp 後、この調査の設問はミスリーディングを誘っており、試験問題としては適切かもしれないが、意識調査には不適切。 - zm_nouveau のブックマーク / はてなブックマーク
おおもとの記事のはてブでコメントしている方々のうち、以前から名前をよくお見掛けする方々についていうと、過去の発言から当然に「この人ならこういうだろうね」というコメントしかされていない。記事に引きずられて、従来と異なる主張をしている方は、いないように見えます。
なので、「この記事とブックマークコメントから、大衆はメディアによって意図的に誘導された考えに同意しやすいことが分かる」とは、私には全く思えない。ひょっとしたら、一般論としては正しいかもしれませんけど、「この記事とブックマークコメントから」は、そんなことはいえないでしょう。
供給が需要を生むことがあるのは、「話題」についてはその通りだけれども、「価値観」「価値判断」については、基本的には当てはまらない、と認識しています。(全く何の影響もないとまではいっていない)
みんながうまく言葉にできなかったり、叩きポイントとして具体化できなかったことを、報道がカタチにすることで、急にマスコミ発でワーワーなることはありますけど、本質的には報道がゼロから何かを生み出したわけではない。もともとうまく言葉にならない感情や考えが社会に充満していたから、火が付く。
死刑反対とか、欧州でも、エリート主義の政府が天下り式に社会を変えて、後から世論がついてきたわけです。とくに新聞はエリート層のメディアだから、結果的に報道が世論を先導したように見える事例はありますが、本当に新聞が世論を変えたのかというと、大いに疑問。人々の意見を変えたのは、新聞記事ではなく、政府が世論の変化を待たずに「社会の現実」を変えたことが主な要因だと考える方が、筋が通る。
朝日新聞は朝日新聞読者の需要に応え、産経新聞は産経新聞読者の需要に応える。別に、記者が信条に反する記事を書いているというわけではなく、両社とも歴史が長いわけで、元読者が今は記者となり、自分が読みたい記事の自己供給をしているのではないでしょうか。
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この程度の「誘導」で、立憲主義に反する側が多数派になること自体、結局は(立憲主義を当然に正しいと考える見地からすれば)問題があるはずで、個人的には話に大きく影響することではないと思います。
あと、私の正直な気持ちをいうなら、これを「誘導」と捉えること自体、バイアスがかかっているのではないかと私は思います。アタマの中にある「こうであるはず」と調査結果のズレを、素直に受け止める努力が十分になされた上での判断かどうか。
これは zm_nouveau さんのコメントではありませんけれども、もっとあれこれ説明したうえで聞けば答えも違ってくるだろうに、みたいな意見もあって、それこそ誘導じゃないか、と。
どう設問を書き換えたら、元の設問にあるという「誘導」がなくなるというのか。言葉の端々をちょっと書き換える程度の穏当な修正案の場合、それで結果が逆転するとは到底思えません。
追記(2017-04-11 23:46:28)
ありがとうございます。
あえて、異見を誇張して書いてきましたが、情報の影響力について、仰ることの大枠には、私も賛成できます。
個別具体的な話になれば、シリア難民の赤ちゃんが難破して救助された話題は、実際には一部の態度保留派を難民受入賛成へ導いたに過ぎず、それは暴行事件でも同じこと。大きな影響があったように見えるのは、もともと賛否が拮抗しており、一部の人が考えを変えるだけで多数派が入れ替わる状況だから……となりますが、情報や報道の影響が「全くない」とは、私も考えておらず、つまるところ、「この程度の影響力」をどう受け止め、解釈するか、という違いなのだと思います。
立憲主義に関しては、立憲主義を擁護する側にしかアカデミズムが存在せず、「正義と正義の対立」という観点がないことが、個人的には気になっています。当然に立憲主義が正しく、高校生が立憲主義を十分に理解できていないのは問題ですね……と、まるで数学の成績がいいとか悪いとかと全く同じような感覚で報道している。
私は立憲主義を大筋で支持する者ですが、立憲主義の歴史を振り返るに、それは確実な正義などではなく、数多ある価値体系の一つに過ぎないので、上から目線に陥ることなく、誠実に大衆と向き合い説得を試み続けねば先行きは危ういと思うのですけれども。
そういう意味で、zm_nouveau とはまた(いくらか)違った理由かもしれませんが、私も
自分たちが何もバイアスなしに物事を見ることができているという虚構を大っぴらに晒していることに腹が立つ
に近しい感想を持ちました。
ただ、あのはてブ言論空間が、まさに記事の影響によって現出したのか、もともともあったものが、記事をきっかけに現れただけのものか、というのが当初の対立点だったと思います。
しかし zm_nouveau さんの真意が、あの記事のような情報の積み重ねによって人々の意見が影響され、相互理解よりも対立を煽られていくことへの危惧にあって、「これはひとつの象徴的な事例だ」というような意味で「この記事とブックマークコメントから、大衆はメディアによって意図的に誘導された考えに同意しやすいことが分かる」とお書きになったのだと認識を改めたいま、とくに異論はありません。
(はてなハイクより転載)