「疑い」を持っていい根拠

1.

本当に件の記事が「名誉棄損」にあたるとお考えですか? 記事の内容は「過去のある時点で、渡辺さんが疑いを持ったことには一定の根拠があった」というもの。「現在も疑い続けている理由」ではなかったことを、まず押さえてほしい。

次に、三浦さんがシロかクロかは、渡辺さんが疑いを抱いた段階では自明ではなく、調査の結果、クロとする証拠は何もなかったと結論付けられたわけです。推定無罪といっても、疑惑を訴え出ることは制約されません。個人では事実確認に限界があるからこそ、疑惑の段階で訴え出て、真実の究明を図るわけです。

森友学園の土地取得問題、大勢が疑いを公言しているわけですが、結果はシロかもしれませんよね。西松建設事件に関して、小沢一郎さん自身は、シロでした。でも、散々疑惑を公言してきた人々が、名誉棄損で訴えられることはありません。

もちろん、疑惑自体から離れて、関係ないことまで無暗に叩けば名誉棄損にもなりますが、西松建設事件そのものに関する限り、小沢一郎さんには、疑われるだけの根拠がありました。だから、ある時点において疑いを持ったことが、即ち名誉棄損だということにはならないわけです。なお、いまだに有罪だと決めつけて叩いている人もいますが、私はそうした人までは擁護しません。

注意が必要なのは、「疑われた小沢さんも悪い」という話ではない、ということです。小沢さんは冤罪の被害者です。秘書が有罪となった以上、道義的責任はあるでしょうが、刑事責任に関しては、全くの冤罪だった。不幸であり、不運であり、本来あってはならないことです。

2.

それでも、一定の根拠があれば、人を疑うことは妨げられない。冤罪の被害者が、新たに生まれ続けるとしても、です。

それはなぜかといえば、誰も疑わず、誰に対してもフラットな姿勢のままで、問題(ときに問題は幻だが、その存在を信じる人々が大勢いれば、実態は幻でも現実に問題は存在する)に対処することは、多くの場合、人間には不可能だからです。

だから、「疑い」を持っていい根拠は相当に緩く、「疑い」を人に話していい根拠も、それほど厳しい条件を課されない。(「疑い」から飛躍して、有罪と決めつけて攻撃するとなれば、それは許されないことはいうまでもありません)

渡辺さんが将棋連盟に疑惑を訴え出たことを、私が擁護する論理は、これと同じです。

なお、私の記憶では、件の記事は、週刊誌への情報提供の是非には触れていなかったはずです。私は、以前より、渡辺さんがマスメディアを通じて三浦さんへの疑いの声を拡散したことについては、不支持を表明しています。そういうことが許されるほどの根拠を、渡辺さんは持っていなかったと認識しているからです。

身近な話題で、考えてみます。会社で万年筆をなくしたとします。万年筆がなくなったと考えられる時間帯に、オフィスにいたのは一人だけだった場合、その人が盗んだと疑うことは、許されると、私は思います。そして、非公開の形で、上司に相談することも、私は許容します。

他方、職場内で「**さんが盗んだ可能性がある」と公言することは、支持しない。決め付けてはいない、疑いに留めている、としても、支持できない。さらに「**さんに盗まれた」とまでいえば、これは完全に名誉棄損です。

件の記事で弁護士さんが渡辺さんを擁護したのは、将棋連盟に疑惑を訴え出たところまでであって、私は理のある話だと思いました。

3.

さて、ではこの記事が、三浦さんの名誉を傷つけるものかどうか。

既に三浦さんはシロとなっており、そのことに何ら異議を唱える内容ではないことを、確認してください。弁護士さんが主張しているのは、ある時点で、渡辺さんが疑いを持ったことには、一定の根拠があった、ということです。その主張が認められたところで、三浦さんの名誉は、なんら傷つきません。

悪いことを何もしていなくたって、疑いを持たれることはあるのです。調べなければ真実はわからないから、多様に解釈できる行動の一側面を見て、疑うを持つ人が出てくることは、回避できません。疑いを持たれても、調べた結果がシロなら、名誉は傷つかない。

本来はそうであっても、実際には、逮捕の段階で名誉はボロボロになってしまうではないか。それはその通り。現代の日本の社会は、未熟です。小沢一郎さんは、無罪判決を勝ち取っても、名誉を棄損されたままです。

しかし、だからといって、「人を疑うこと」に、「人を有罪と決めること」と同等の高いハードルを設けることが、妥当でしょうか。

「疑い」は、名誉を傷つけない。「疑いの公言」は、程度の問題を争う。「決めつけ」は名誉棄損。

私は、このように線を引きたいですね。

件の記事は「疑いの公言」ではないかと思われるかもしれませんが、既に三浦さんのシロは決まったのであり、「過去のある時点において、渡辺さんが三浦さんを疑った理由はこうであった」と説明することが、現在の三浦さんの名誉を棄損することになるとは、私には考えられません。

問題があるとすれば、「疑われた三浦さんにも悪いところがあった」と考える人がいることでしょうか。これは、疑った渡辺さんが悪いのではなく、そう考える人が間違っているという話なのです。人に疑いを持たれること自体は、良くも悪くもない。そう考えなければ、推定無罪も何も成り立たないのです。

追記(2017-02-28 19:04:09)

私は、渡辺さんが「週刊誌に疑惑をリークした」とは一度も主張していない。

週刊誌の取材に答えたのは、事実。私は、ノーコメントを貫くべきだったと思っている。

なんかね、渡辺さんを叩いてる人らが、「リーク」つまり渡辺さんの方が週刊誌にネタを持ち込んだと、あたかもそれが事実であるかのように書いているのは、「ミイラ取りがミイラ」ってやつじゃないの?って思いますね。

現在進行形で、ロクな根拠もなしに渡辺さんの名誉を棄損している人らの存在をスルーしているような方々が、三浦さんのこととなると、その主張をそのまま受け取ったら社会が成り立たなくなるぞというレベルの極端な発言をする。

自分がシロと確信した人については「疑うことさえ許さない」といい、クロだと思ったら人なら怪しい伝聞情報や憶測だけで名誉を傷つけても平気。自分で、これは我ながらおかしいな、と思わないんですかね。

追記(2017-02-28 19:09:15)

補足しておくと、結果的に「渡辺さんが週刊文春にリークした」と証明されるかもしれないけど、それは関係ないんですよ。

私が問題視しているのは、現時点での根拠のなさなのであって。結果的にクロだったから過去の根拠薄弱な攻撃も正当化される、なんてことが許されていいわけがない。それを許したら、冤罪の被害を軽減することなんか、できやしない。

シロかクロか、私たちにはわからないのである。わからない、という事実から目を背けてはならない。

他方、「疑う」ことまで厳しく制約したら、世の中成り立たない。「疑う」のはいいが、「決め付け」や、「疑い段階での攻撃」は、認めないということ。

追記(2017-04-14 23:07:18)

ブコメにも書いた通り、私の言葉が iteau さんに対して説得力を持つとは思っていませんが、せっかく言及をいただいたので、何点か反論します。といっても、既に書いたことの繰り返しがほとんどですけれども。

私は、「不正を『疑う』根拠」は、「不正があったと公言する根拠」より、ずっと緩くて構わないと考えています。そして、将棋連盟の内部で「不正があるのではないか?」と訴えるのは、「不正を疑う」の範疇でしょう。

件の弁護士さんは、将棋連盟が拙速な処分を下したことを擁護したのではない。渡辺さんが週刊誌の取材を受けて個人的な疑惑の段階に過ぎない話を公にしたことを擁護したのでもない。あくまでも将棋連盟に疑惑を訴え出たことだけを、擁護したのです。

渡辺さんは、何も確実な証拠を掴んでいなかったけれども、悪い心証を持つだけの理由はあった。そのいずれも、「だから不正をしている」と決めつけられる事柄では全くなかったけれども、人が「疑いを持つ」ことまで否定されるほどの無根拠さではなかった。私は、そう思います。

で、そういう擁護をすることが、三浦さんの名誉を傷付けることになりますかね? 私は、ならないと思います。

もし、これが名誉棄損になってしまうとすれば、そのような社会がおかしい。そして、そんな社会は、論理矛盾なしに存在しえない。「疑い」は「疑い」に過ぎない。「疑い」の段階を飛ばして、「シロ」か「クロ」かしか認めないなんて、非現実的です。現行犯でもなければ、いきなりシロがクロに変わるわけがない。

渡辺さんが連盟に疑惑を訴え出たこと自体を批判する人々は、無理をいっている。告発したけど、調べた結果はシロでした(少なくとも確実な有罪な証拠はなかった)、という場合に、告発者が罰を受けたり、謝罪を強要されるような社会では、現実的には正義が成り立たない。

個人に十分な調査能力があるなら、みな個人で調べればいいってことになる。でもそうではないから、疑惑は訴え出るしかない。結果はシロかクロか(あるいは証拠不十分か)。それは事前にはわからない。告発とはそういうものだ、という認識が、社会にないといけない。

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公人、私人の区別は、私は昔から、原理的に否定してます。世間や、日本の司法の判断では、区別するのが常識のようですが、私はその常識に一切与しない。誰でも平等に扱われるべき。公人と私人を分けて、別の基準を適用することに、全面的に反対。多数決で99対1でも、この点は譲りません。個人の信念は、社会常識に迎合する必要がありませんからね。

公人が些細なことで疑いを持たれていいなら、私人も同様であるべき。同じく、公人だからといって、ロクな根拠もなしに、賄賂をもらったんだとか、決め付けられていいはずがない。

はてなハイクより転載)