ご質問への回答

1.

記事中で私のブコメへの批判がされているのだけれども、スクリーンショット画像以外の全ての引用が不正確。コピーアンドペーストすればいいだけなのに、いちいち入力しなおして、間違っている。(追記:記事が簡素化され、リンク先の記事からは、不正確な引用が消えました)

私のブコメは、「私ならお願いされただけなら無視する」という意味ではない。「私このお願いは無視する」という意味でもない。どちらも私の意図とは違う。

まあ、そういう誤解はあり得るであろうから、誤解自体を問題視はしない。

「法規制」等による「権利の制約」ではなく、「お願い」というスタンスの主張なら、私は反論・批判する気なし。「別に構わない」とは、そういう意味。「無断リンク問題」でも私は、「無断でリンクしないで!」というお願いは全くの自由だと考え、そういう主張をすることを擁護してきた。

他方、私はそもそも件のはてな匿名ダイアリーの記事をブクマする意欲を持たないが、ブクマしたい人がブクマする自由も擁護する。「私なら、」とは、そういう意味だ。

これらは私の価値判断。説明して見解の相違が埋まるとも思わない。

コメント欄では不正確な引用を指摘した。これは客観的に明白なので。だが、よしきさんは「細かいところ」といい、指摘された内容を無視した反応しか返さなかった。そのふるまいは、自身の記事で批判している他人のふるまいと相似形ではないか。

これどういうつもりでコメントしたんですかね?ちょっとでも頭使える人ならこういうコメントしないと思うんですけど。

敢えて質問に答えるなら、よしきさんが大切だと思っていることを、私はそう思わない、価値観の相違が根本にあるということ。

2.(2023-06-18 追記)

別に主張内容が理解できないとは一言も言ってないんですよ。

当たり前ですよね……。よしきさんがされているのは「誤解」。誤解というのは、相手の主張を理解したつもりの人が、無意識にやるもの。

で、私の記事を踏まえて書かれた記事ですら、よしきさんは重ねて不正確な引用を続けている。

にもかかわらず、まったく関係ないのにしゃしゃり出てきて「私はこのお願いは無視する」とコメントしたわけですよ。

「私なら、」と「私は」では、意味が違う。そのことを、私は説明した。それなのに、「どうでもいい」の一言で、意図的に(脚注2 を読む限り手違いの類ではない)不正確な引用を繰り返す。最初のブコメについては、誤解はされても仕方ないか、と思った。が、今回はどうなんだ?

他人の本題を無視する人が、自分の本題が無視されたといって怒る。身勝手なものだと思う。思うが、よしきさんが自由を行使すること自体は、支持する。ただ、お互い様なだけ。

(追記:記事が編集され、リンク先の記事から不正確な引用が消えました)

付記2-1

よしきさんが不愉快に思っている、はてな匿名ダイアリーの記事を、私はこれまではてなブックマークでブックマークしていないし、これからもしないだろう。その意味では、私はよしきさんの要望に沿う人間。

この点を重視するなら、「私なら、」を「私は」に書き換えたら、まったく意味が違ってくる。実際の私自身は、件の記事をブクマしないのだ。

だが私は、ブクマされて不愉快に思う人がいる記事についても、コメント付きで公開ブクマする。その意味では、私はよしきさんの要望に沿わない人間。件の記事をブクマしないのは、興味がないからであって、よしきさんに配慮してのことではない。

この点を重視するなら、「私なら、」を「私は」と書き換えることにも、一応の筋が通る可能性はある。一見、特定個別の件について述べている記事のように読めるが、本意は一般論の方にある、とか何とか。

付記2-2

「まったく関係ないのにしゃしゃり出てきて」という理路に、私は全く不同意。私たちは、全く関係ないことにも、自由に意見を述べることができるし、してよい。

それに対して不快感を表明するのは、もちろん構わない。その表明には、不快に思う人がいるならやめよう、と思わせる効果はあるだろうし、それは問題ない。

双方向に言論の自由はある。

なお受忍の限界を設定することには賛成で、侮辱罪とか、名誉棄損罪が存在し、機能していることは、私も支持している。

ところで、よしきさんのブログにも、特定個人の主張を引用してレスポンスする、「まったく関係ないのにしゃしゃり出てきて」いるような記事が多々あるが……。

一般論の話じゃなくて、一対一の個人間の話をしてたんですよ。

なるほど、よしきさんの線引きは、そこか。私はもちろん、同意しない。一般公開されたブログの記事は、自由な言及の対象となって当然だ。

付記2-3

悪意はないけど、こっちの言いたいことを読み取ろうとする意志が全くない人の相手はあまりにも不毛すぎるね……

「この人のコメントは失礼すぎて悪意を感じる」というのが、よしきさんの記事の主張だとして、何か応答する理由は、私には、ない。

少なくともこの人たちからは悪意はない代わりに私に対する敬意をみじんも感じないし私もこの人たちにみじんも敬意を持てないので会話が成立しないですね。今回の件で嫌というほど理解しました。

私は「会話」など望んでいない。よしきさんも、それは同じだろう。

仮によしきさんの本論がどんなに正しくても、記事中の引用が不正確なことに、何ら変わりはない。だから修正してほしい。私の望みは、それだけだ。

ちなみに、「これは単なるカッコ書き、私が解釈してパラフレーズした表現であって、引用ではない」という反論なら、勝てないと思っていた。私からすると「引用のカッコなのは明らか」でも、客観的な論証は難しい。そして「単なるカッコ書き」は、私も多用している表現。「薄弱な根拠で引用だと言い張るなら、お前の文章はどうなんだ」という泥試合になる。

3.(2023-06-18 追記)

この機会に書いておく。

反論はいくらでもできる。新聞や雑誌に批判された時、同じ紙面で反論できないのが普通だし、基本、それで構わないはずだ。このブログだって読者にはコメント欄のみの開放。記事投稿で反論する権利は与えてないよね。

この人は頭がちょっと悪いのではないでしょうか。そもそも1文目と2文目がつながってない上に、2文目の文章が意味不明。ブログと給料もらってプロが書いてる新聞を比較してるのかがまずわからない。君たち記事を書いてる人にお金払ってるんですか?記事投稿で反論する権利は与えてるし、全体的に認識がおかしい。馬鹿なのかなって思ってしまいました。この人前に私のブログにも頓珍漢なコメントつけてたけど、自分の認知のおかしさにいつになったら気づくのかな。

はてブで批判された時、はてブ内で反論できるようにしてほしい、という主張を、よっぴーさんは以前からされている。ブコメが表示された時、Twitter のレスと同様の形で、よっぴーさんによる反論も表示されるようにしてほしい、とも。当該の記事中にも、同趣旨の記述がある。

私は、それは過剰な要求だと考えている。その場で反論できる構造になっておらず、反論が目立たず読まれないのは、新聞でも雑誌でもよっぴーさんのブログでも、全く同じだ。自分の記事を表示したら、自動的に反論も表示されるような形には、なっていない。

しかしそれは「反論できない」ことを意味しない。「反論はできるが、読ませたい相手に読ませることまではできない」だけだ。私は、それでよいと考えている。

私のブコメは、よっぴーさんの記事へのブコメだ。当該記事を読めば、私が記事中のどの部分に異論を述べているのかわかる。そこさえわかれば、1文目と2文目のつながりは、意味不明ではない。(付記に示す通り、よっぴーさんには、ちゃんと意味が伝わっている)

ブログと給料もらってプロが書いてる新聞を比較してるのかがまずわからない。君たち記事を書いてる人にお金払ってるんですか?

有償か無償か、なんてのは、私の話には一切関係がない。

記事投稿で反論する権利は与えてるし、全体的に認識がおかしい。

与えてない。

よっぴーさんがいっているのは、コメントと反論が同時に表示されてほしいということ。「よっぴーさんの要求を、よっぴーさんのブログにも適用すれば、よっぴーさんのブログ自体を使った反論を認める必要がある」というのが私の主張だ。この点も、付記の通り、よっぴーさんには誤解なく伝わっている。

よしきさんは私に対して偏見があって、最初から私の主張を理解する気がないから、私の書いていることを理解できないのだと思う。

付記3-1

というか、この主張する人多いんだけど、じゃあはてなブログで反論ツイートしたときに「ブコメだとこれ以上反論できない」とか泣き言いうのやめーや。「殴られてもスルーしろ」ってのが君たちの言い分でしょ?言い返したければ自分でブログ記事書けばいいじゃん。お前らが言ってるのは結局「今の居心地よい状況から何も変えたくない」でしかなくて、中身のある発言何一つできてないですよ。

これは私が主張していないことへの批判なので、もう私には関係ない話。でも第三者がふつうに読んだら、「というか」以降も「私を含む一定範囲の人々」への批判に読めると思う。実際の私は「言い返したければ自分でブログ記事書けばいいじゃん」に賛成なのに。

「というか」以降の批判対象に私を含まないなら、その点を明記してほしい、という気持ちはある。「ここから先は deztecjp への批判ではないが、」とか。まあ、強くは望まない。過去ログをしっかり検索したら、今の私が忘れているだけで、数回くらい、そういうことを書いていないとも限らないし。

付記3-2

反論はいくらでもできる。新聞や雑誌に批判された時、同じ紙面で反論できないのが普通だし、基本、それで構わないはずだ。このブログだって読者にはコメント欄のみの開放。記事投稿で反論する権利は与えてないよね。

少なくとも僕は相手が反論してきて「これは相手に分があるぞ」と思ったらこうやって記事中に追記するなり訂正したりしてるよ。そういう経験何回もあるよ。それって権利を与えてる事にならんの?

よっぴーさんは、ごく一部の反論に限り、記事中で引用している。が、「よほどひどいもの以外は、原則として記事中に表示される」という状況では、まったくない。

反論を選択する権利がよっぴーさんにあるなら、同じ権利はブクマカの側にもあるだろう。今後、はてブ内でコメントへ反論する機能ができたとして、よっぴーさんがブログでされているのと同等の仕組みとするなら、「原則はワンクリックしないと表示されない状態、とくに許可された場合のみクリックなしで表示」となるだろう。おかしな意見の持ち主ほど、まともな反論を、まともな反論とは認めず、反論の自動表示を許さないだろう。それは現状よりもっと、イライラの種にならないか。

とはいえ、「とくに認めたごく一部の反論に限り紙面に掲載する」のは、新聞や雑誌で長年行われてきたこと。文化的慣習として定着してきた穏当な妥協点、のように思う。

なお「仕組みは全く違うが結果的には」という観点では、現在の「オーナーコメントのトップ表示」で、ある程度まで似たことは実現できているように、私には見える。「どうしても反論したいこと」が1~2件なら、オーナーコメントで字数は足りるので。よっぴーさんが満足できる解ではないに違いないが。