近親相姦を忌避する遺伝子を人間が持つとしても……

見る人がいるかわからないけど、補足しておきます。

sand_land さんへのレスを書いていて、ここは誤解されそうだなと思うことがあったので。

近親相姦を忌避する遺伝子が人間に存在する可能性はある。が、単純な事実として、年頃の娘が父親を嫌うことを当然とする文化に、普遍性はない。日本に限っても、時代を遡ると、年頃の娘が父を嫌うことを当然視する文化は一般性を失う。(特定の文学作品にそうした人物が登場することと、社会で「それは普通で当然。むしろ父親をずっと好きな方がヘン」みたいな主張が広く受け入れられている状況は、決してイコールでは結べない)

「反抗期」も普遍的な文化ではない。が、第二次性徴期にホルモンバランスの変化が生じることは事実だし、そのことが「反抗期」の基礎となっているという説明はおそらく正しい。でも、ホルモンバランスの変化があるのだから「反抗期」はあって当然なのか、というと、違うんですね。現に「反抗期」の観察されない社会というのもあるわけすし、「反抗期」のあり方はここ数十年の日本だけ見ても大きく変化してきていますよね。

つまり、「反抗期」に生理現象が関わっていることが証明されても、「反抗期はあって当然」というわけでもないし、「反抗期だから」といって粗暴なふるまいを肯定できるようになるわけでもない。「反抗期」の是非論は、ふつうその表現の部分に焦点が当たっているわけですが、生理現象はその部分を何ら説明してはいないんです。

にもかかわらず、sand_land さんがそうだといっているわけではないことを注記しておきますが、「反抗期」と生理現象の関係が証明されたという話になると、そのあたりがごっちゃにされるわけです。現代の日本の社会とか、特定の個人が、どのような「反抗期」の表現をするかというのは、ほぼ文化現象であるのに、「科学的に説明されている」という話にしたがる人が必ず出てくる。

父と娘の問題もそうです。私は本能説を否定しましたけど、年頃の娘が父親を嫌うことの生理学的基礎づけは、今後、実現するかもしれない。あるいは、探せば既にその手の論文はいくらでも見つかるかもしれない。

が、生理的な要因の存在が証明されたとしても、人類の歴史を振り返れば、娘が父を嫌うことに普遍性がないことは明らかな事実なのであって、「科学的に証明されたんだから、娘が父を嫌うのは当然」という話は間違っているわけです。仮に生理的な基礎づけがあるとしても、「だから娘は父を嫌う」と短絡することはできない。要因の大きさとしては、後天的に獲得する文化の影響、あるいは個人差の方が明らかに大きい。

例えば人類が先天的に浮気を忌避する生物でないことは既に知られていますが、だからといって「浮気は正しい」とはいわないでしょう。自分の属する文化と合致する生理現象が発見されたときばかり、生理現象を文化の肯定に持ち出すのは、「疑似科学」です。科学の権威を嵩に着て、実際には決して支配的な影響力など持たない生理現象を、針小棒大に祭り上げて「だから自分たちの文化は正しい」というのは、間違っています。

私が「ほぼ文化現象」と書いてきた含みは、そういうことです。生理的な説明も可能だとしても、その影響は限定的であって、実際に支配的なのは文化の方なのだ、ということです。

娘の父嫌いを本能で説明したがる人々は、「証拠」が出たらワーッと盛り上がり、「疑似科学」と批判した私のような者を叩くのでしょうけれども、それは違うんですね。証拠というなら、「娘の父嫌い」は人類普遍の文化ではないという事実の方がよほど確実で大きなものなんです。そこから目を逸らして、「私たちの文化は生理現象から説明できた!」という一点を重視するような発想が、すなわち科学への間違った信奉のあり方の表明になってしまうわけです。

追記(2016-11-03 21:19:36)

返信ありがとうございます。

現実を生きるにあたっては、現代日本で子育てをすれば「当然に反抗期はある」と予想するのが妥当でしょうし、「反抗期がなぜ生じるか」などと考えても実利は乏しいと思います。科学的な言説にこだわらず、個人の体験談ベースの反抗期への対処法に学ぶことも、大いに有効だと思います。

また、本能や遺伝子の方面から現象を基礎づける研究も、私は支持します。支配的要因でないだろうとは思いますが、無関係だというつもりは全くありません。

はてブは自分にとって趣味の世界だから、私もこうしてちょっとこだわっていますが、日常生活では周囲に適当に話を合わせて生きていたりもします。

少し突っかかるような言葉を選んでしまったのは、申し訳ありませんでした。

はてなハイクより転載)