TakamoriTarou さんへ。
やり取りが続いているので、こっちにまとめます。
TakamoriTarouさんは「公開」を狭く定義した上で、論文は無料・無制限で「公開」しなければダメだとおっしゃっている。
しかし従来、論文の「公開」とは、一般的な意味における「公開」です。
即ち、無断で公衆送信可能化してはいけないという制限がかかっていても、お金さえ払えば誰でも内容に触れられるなら、その論文は「公開」されているとみなす……のがコンセンサス。
読むのにお金がかかっても、無断で全文転載してはいけなくても、論文が「公開」されれば、その内容は人類皆の英知となる。それが学問の世界の一般的な考え方だと思います。著作権フリーでなくては、「公開」されているとはいえない、論文の内容が広く世間で役立つ状態とはいえない……ってのは、かなり特殊な見解かと。
ちなみに「非公開」の論文とは、研究所や企業の内部論文などを指し、これは内部の研究者や、特別に許可された人しか読めません。
さて、それはそれとして、著者が自分のウェブサイトなどで論文を公開することを「自由」とする論文誌って、現在でも存在するわけです。それでも商売が成り立つなら、別にそれはそれでいい。たぶん、著作権で縛らなくても商売が成り立つ仕組みを作れた論文誌の方が、将来的には生き残りやすいんじゃないですか。
でも、そういうのは市場に任せておけばいい話であって、著作権で縛る論文誌もあっていい。所詮は商売のやり方の違いに過ぎず、どちらかを天下り式に制約すべきではないと、私は思いますね。自由を制約するというのは、よほど事情がある場合だけに限るべきですよ。
(はてなハイクより転載)