「気持ちはわかる。でも積極的には支持しない」

好きなお店がなくなるのを惜しんだり、オーナーの判断を「間違ってる!」とくさす気持ちは、とてもよくわかる。そういう発言をする自由は、私だって積極的に擁護したい。

だけど、そんな私だって別の場面では、正当な対価を支払って自分の自由にできる権利を得た物事に対して、他人からぐちゃぐちゃいわれることにムカつく経験をたくさんしているわけです。

うるせーよ、文句があるなら自分で権利を勝ち取って、その理想を実現すればいい。何の対価も支払わずに、口先介入だけで自分の理想を他人に押し付けて実現しようなんて、ムシのいいこと考えてるんじゃないよ、とかね、何度もそう思う場面があった。

そういうのって、表面上の言葉というより、その背後にある考えというか、態度が重要なんです。「その決断は間違っていると思う」と主張すること自体はいい。問題は「いま自分が決定権を持つ立場にないこと」に関する謙虚さのようなものがあるかどうか。

「気持ちはわかる。でも積極的には支持しない」てのは、そういうこと。言論の自由は大事で、口をふさぐのは間違いだと思ってる。だけど、カネを出さずに口だけ出す人には、わきまえるべき態度ってものもあるんじゃないの?と。

新宿ボンベイが閉店して和食レストランにかえて成功するか。個人的には、成功しないと思う。オーナーは愚かな判断をしたな、と思ってはいる。だけど、私には借金して店を買い取るだけの胆力も、様々な実力もない。オーナーには、それがある。

世評の悪い企業で、山ほど失敗も重ねている。それでも、オーナー側は自分の意思で決断できるだけの実力を得て、リスクを背負った。私との決定的な差だ。

そのことに、私は一定の敬意を払う。

まあ、記事を見ても、「一定の敬意」を有している方が大半ではあります。ありますが、一部にはそのようには見えない方もいる。

私は、個人がただ気持ちを吐露することを決して否定しない、消極的には支持する。ましてや、その主張自体には、私も同感ではある。わざわざリスクを取って業態転換することないじゃないか、利益が出ているなら文化事業として続けてくれてもいいだろうに、大企業が単純に利益を追求するだけでいいのか、社会貢献も考えていいのでは、とか。

だけど、口先介入で世界を変えようとすることには、嫌悪感がある。自分の主張が通るなら、なんだっていいとは思わない。いま目先の自分の主張が踏み潰されるとしても、いまオーナーが勝ち取った「自分の決断を押し通す権利」を擁護しなかったら、究極的に、自分は不幸になるという確信がある。

何せ私は、少数派になりやすい人間ですから。「みんな」とは異なる判断をすることが、多い人間ですから。

はてなハイクより転載)