論文の「公開」とは何か・2

映画の「公開」も、美術館の収蔵品の「公開」も、ふつう、無料じゃない。お金を払わなければ見れないという制約はかかっている。

では辞書にある「制限なく」とはどんな意味かというと、身分や資格によって排除しないということ。「研究所のインサイダーだけが見られる」「所有者に特別に許可された人だけが見られる」というのが「非公開」。有料か無料かは、関係ない。

それが一般的な用法であって、TakamoriTarouさんの「公開」の定義は、辞書の説明を読み間違っている……という点については、同意をいただけたのかどうか、気になるところではあります。

>> 届くべき相手にに届いている
> って なんだそりゃ。何故分かる。

研究者なら、主要な論文誌くらい目を通すのが当たり前なので。図書館へ行けば、個人で金銭を負担せずに読めるんですよ? 読まないのは不勉強な研究者だけ。

図書館にも行かないような人でも無料で全部読めたとして、その論文が真っ当なものか、トンデモなのか、有意義なのか、価値のないものか、判断できるんですか? 判断できる人もゼロではないでしょうけど、多くの論文誌が、現行の制約をしばらく維持することに不思議はありませんね。その制約を解くことに、さしたる意義は見いだせないので。

論文誌の価格高騰などが生じたのは、研究分野の細分化が進み、スケールメリットが削られる一方だから。結果、図書館へ行っても読めない論文誌が増えたわけです。読めない論文誌に著作権を渡す意味もないから、マイナーな論文誌が成り立たなくなるのは当然。

ただ、「自分の専門とは少し離れるけれど、それでも読んでおくべき」みたいな内容を扱う、メジャーな論文誌は、当面存続するはずです。

はてなハイクより転載)