国会というのは、まず議員同士が議論する場であって、行政の監視などは、国会の機能の一つに過ぎません。例えば議員立法の審議の場合、行政府は参考意見を述べる立場でしかない。
そして憲法改正案は、議員が発議する予定です。法務省が憲法改正を主導するといったことは、現状、考えられていません。解釈改憲は政府主導でやりましたけど、憲法改正は与党が主導するわけです。だから、安倍さんは総理大臣としてではなく、自民党総裁として、憲法改正に意欲を示したわけです。
ところが、今の日本の国会では、「行政VS国会」が常態化してしまい、政府抜きの政党同士の議論というのが、極めて低調です。本来、党首討論に限らず、行政府で役職を得ている議員であっても、その役職と関係なく、一国会議員として、あるいは各政党を代表する一人として、議論する場が、もっとあって然るべきです。
実際問題、与党の党首が、「与党の党首として出席」する場は、党首討論くらいしかない。だから、予算員会が追及の場になったのは、ホットな話題にすぐ食いつくためには、他に手がなかった。
でも、理屈からいえば、政府が憲法改正をするのではなく、あくまでも自民党(とおそらくは公明党)が憲法改正をするのだから、予算員会に「総理大臣として出席」している安倍さんに問うても仕方ない。だって、政府の代表としては、「政府として憲法改正の検討はしておりません」としかいいようがないんだから。解釈改憲の時とは、その点が決定的に違う。
「新聞を読んでください」は、バカな回答だと私も思う。でも、安倍さんの答弁の趣旨は、別に間違っていない。つまるところ、「政府が憲法改正の発議をする予定はなく、政府内でそうした議論もしていない。(自民党は憲法改正の議論を再び活発化させようとしているけれども)今は行政府の代表として答弁しているので、自民党総裁としての発言は控える」ということなのでした。
政府の監視という名目が立てば、予算委員会でおおよそ何でも議論できますが、政府と関係ない話まで、予算委員会で扱おうというのは無理がある。aoi-sora さんのいう、憲法66条が云々というのは、的外れです。なにせ、政府は憲法改正の検討をしていないのだから。
過去の党首討論を見ても、行政府の代表を相手にしているのか、立法府の一角を占める政党の代表を相手にしているのか、不分明な討議が多過ぎる。そこはちゃんと分けて議論すべきなのに。
結局、総理大臣が、与党の党首として国会に出る場が、少な過ぎるんですよ。だから、仕方なく、予算委員会で「自民党総裁への質問」がなされる。いま私は「仕方なく」と書いたけど、追及する側にとってみれば、開催日数の多い予算委員会は、最高に使い勝手がいい。だから、たぶん半ば意図的に、ごっちゃにしているんですよ。
で、そんなことが繰り返されてきたから、世論も、与党の党首と、行政府の長をごっちゃにしてしまう。その不合理が認識されないままでは、「総理大臣が、与党の党首として国会に出る場」の必要性も理解されない。
困った話だと思う。
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読売新聞のインタビュー記事ですけど、安倍さんの発言がところどころヘンで、いま総理として話しているのか党首として話しているのか、よくわからない箇所があるのは事実なのだけれど、そういう言葉尻を捉えて「だから予算員会で総理を追求してよい」というのは、ためにする議論だと思う。
だって、憲法改正の政府案なんてものは、出てこないからです。大きな構図として、憲法改正は自民党マターであって、政府マターではない。安倍さんの言葉がどう読めようと、そこのところがひっくり返るものではない。法務省や内閣府の審議会一覧を見たって、憲法改正の準備なんか、何もしていないことがわかる。少なくとも政府の通常の政策プロセスの中に、憲法改正は存在しない。わかりきったことなんです。
以上は、私からすれば「自明」なのですが、「いや、そんなことはない、総理大臣と自民党総裁が同一人物である以上、政府から国会に憲法改正案が示される可能性もゼロではない! だから予算委員会での追及は当然だ」と、もし仰られるのであれば、もはや私としては、何もいうことはありません(これほど長々と書いておいてよくいう、と我ながら思う)。
追記(2017-05-10 22:50:56)
補足。
第九十六条 この憲法の改正は、各議院の総議員の三分の二以上の賛成で、国会が、これを発議し、国民に提案してその承認を経なければならない。この承認には、特別の国民投票又は国会の定める選挙の際行はれる投票において、その過半数の賛成を必要とする。
憲法と法律からして、そもそも憲法改正の発議は国会議員にしかできない。が、行政府が、それを組織的にアシストする可能性があるかどうか、という話を、私はしているつもり。
形式だけ議員による発議で、実際には政府開催の審議会で議論を重ね、官僚が(手弁当ではなく業務として)草案を書き……みたいなことがありうるかどうか。
追記(2017-05-11 07:55:22)
天皇の退位については、「天皇の公務の負担軽減等に関する有識者会議」が内閣官房に設置され、公費の支出が発生しています。
憲法改正についても、同様の公費支出が検討課題に上がったなら、その時点で予算委員会マターになるというのが、私の認識です。
追記(2017-05-11 08:13:22)
なお、国民投票の実施自体は総務省の案件。憲法改正の手続きが実際に行えるのか、あるいは国民投票の広報のあり方、その中立性、といった論点であれば、それが行政府の課題となるのは当然です。
ただしその場合、どのような憲法改正を行うかについては、別の問題ということになるはずです。
天皇の退位については、政府がその内容についても検討を行っている事実がある一方、憲法改正に関しては、現状では、そうではない。やはりそこには(少なくとも今のところ)違いがあると、私は認識しています。
追記(2017-05-11 18:29:34)
参考資料を紹介していただき、ありがとうございます。
憲法改正手続法は、内閣の憲法改正原案提出手続に関する規定を置いていないが、その趣旨は、この問題について憲法改正手続法の制定時に決着することはせず、「将来、内閣による提出が立法政策上必要であり、かつ、それが憲法上も許容されるものと判断される場合に、その旨の法整備をすれば足りると考えた」と説明されている。
内閣が憲法改正の発議をするための法整備を新たに行えば可能、という内容だと認識しました。仮定の話としては、強行採決を何回かやれば、数日で実現するといえなくもないので、「だから予算委員会で総理大臣を追求できる」という理路も、あるとは思います。
ただ、「行政府が、与党の憲法改正案発議を組織的にアシストする可能性がある」という説と同様、現状においては、関係省庁のどの審議会・委員会・有識者会議においても、内閣が憲法を発議するための新法を制定する準備は行われていないように見え(私の見落としがありましたら申し訳ありません)、「ありえない話ではない」としても、「いまそこにある問題」かどうかについては、意見が分かれるところだと思います。
私は予算委員会での追及は「仕方ない」と思っています。目下、他に追及の場がないからです。ならば総理の側も、そうした状況を踏まえた答弁をする方がいい。とはいえ、ご都合主義だとしても、ここで筋論を持ち出し、「内閣として改憲を目指しているわけではないのだから、総理大臣として出席している委員会で、憲法改正について問われても回答しない」とすることにも、私は理を認めます。褒められた態度ではないものの、そうそう、一方的に非難できるようなことでもないと思うわけです。
現状はどうあれ、今後は政府主導で改正案が作られるかもしれない。だから「総理大臣」を追求する。繰り返しますが、それも追及の理路として「なくはない」。だったらいいじゃないか、とは、私は考えないんですね。
自民党総裁としての安倍さんは、明確に改憲を目指しているわけです。自民党総裁として安倍さんが国会に出る場があれば、何の憂いもなく、安倍さんにも逃げ口上の余地なく、憲法改正に関して、討議ができるはずです。重要な問題なのだから、いくら総理大臣が多忙だとしても、相当の時間を拘束して、しっかりやる方がいい。
私は最初から、読む国会さんの記事に対して「批判もわかるが」と述べています。というのは、現に安倍さんが自民党総裁として国会に出て批判に晒される場がない以上、予算員会での追及だけを否定したら、安倍さんに一方的に有利になってしまうからです。
けれどもそれは、いま述べたような妥協の上に成り立つ支持であって、読む国会さんの主張には難がある、という認識が根っこにあるわけです。
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施政方針演説を見てみます。
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平成27年2月12日 第百八十九回国会における安倍内閣総理大臣施政方針演説 | 平成27年 | 総理の演説・記者会見など | ニュース | 首相官邸ホームページ
憲法改正に向けた国民的な議論を深めていこうではありませんか。
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平成28年1月22日 第百九十回国会における安倍内閣総理大臣施政方針演説 | 平成28年 | 総理の演説・記者会見など | ニュース | 首相官邸ホームページ
民主主義の土俵である選挙制度の改革、国のかたちを決める憲法改正。国民から負託を受けた、私たち国会議員は、正々堂々と議論し、逃げることなく答えを出していく。その責任を果たしていこうではありませんか。
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平成28年9月26日 第百九十二回国会における安倍内閣総理大臣所信表明演説 | 平成28年 | 総理の演説・記者会見など | ニュース | 首相官邸ホームページ
憲法はどうあるべきか。日本が、これから、どういう国を目指すのか。それを決めるのは政府ではありません。国民です。そして、その案を国民に提示するのは、私たち国会議員の責任であります。与野党の立場を超え、憲法審査会での議論を深めていこうではありませんか。
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平成29年1月20日 第百九十三回国会における安倍内閣総理大臣施政方針演説 | 平成29年 | 総理の演説・記者会見など | ニュース | 首相官邸ホームページ
憲法施行七十年の節目に当たり、私たちの子や孫、未来を生きる世代のため、次なる七十年に向かって、日本をどのような国にしていくのか。その案を国民に提示するため、憲法審査会で具体的な議論を深めようではありませんか。
注意して読むとわかる通り、他の政策テーマについては、「内閣としてこうしていく」という施政方針が示されるのに対し、憲法改正に関しては、どのような改正をしたいかということを、一切述べていません。あくまで国会論議に委ねるという姿勢です。
「内閣として憲法改正を目指すのではない以上、施政方針演説でこうした言及をすることも許されない」という立場もありましょうが、私は、そうまで総理の言葉を制約するのが妥当だとは思っていません。微妙な言い方になりますが、総理が国会議員であることも、事実であって、それは100%分離できるようなことではないと思うからです。
私は予算委員会での追及を、消極的に認めます。同様に、施政方針演説において、総理大臣としてではなく、一政治家、一国会議員としての主張が、少し顔を見せることについて、それが抑制のきいた形であれば、許容します。
予算委員会での追及は100%正しい、どんどんやるべき、とは思わない。それは次善の方策であって、やはり筋を違えずに、真っ当な追及の場を用意すべきである。
施政方針演説に、政府の方針と関係ない一政治家としての主張が乗ることを全否定はしないが、自ずと限度はあるはずだし、十二分に慎重であってくれなければ困る。
私は、そのように考えています。
(はてなハイクより転載)