「射殺する必要はなかったのではないか?」的意見

私が書いているのは、たしかに『後から出てくる「射殺する必要はなかったのではないか?」』の類です。私は、そういう議論は社会に資するものだと思ってます。

私は旗幟鮮明なブコメのいくつかにスターをつけてから自分のコメントを書きましたが、自分自身は、そう明快なことを書く気には、なれなかった。

日野さんが中学生を叩いたのが「よいことだった」とは思わない。あのとき日野さんはそうする他なかったのかもしれない。それでも、日野さんが正しいことをしたとは、私は考えない。

日野さんには他の手段を取るのは無理だったのかもしれないが、よりよい手立てはあったのではないか? あのとき、1秒でも早く中学生を止めることは、本当は最優先ではなかった。髪を掴んで頬を叩いてしまうより、スティックを奪われても素手でドラムを叩き続けた中学生に呆然とでもしている方が、よほどよかった。

私は日野さんを、責めないが、支持もしない。この件を通じて、同じ状況で人を叩かない方が少しずつでも増えていったらいいと思う。

あと、人を力づくで移動させることだって、暴力の一形態には違いない。何かの抗議行動で座り込みをしている人を、安直に強制排除してよいとも思わない。しかし今回は、強制排除を支持できる状況だったと私は考え、自分なりの許容ラインを、ブコメで示しました。

その根拠を問われれば、「私の価値判断だ」ということになる。異見のある他人に対して、説得力があるとは思わないが、別にそれはそれで構わないと思っている。

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病院の待合室で日野さんのインタビュー映像が流れていたけれど、日野さんは反省していなかった。別に、それでもいいと思う。特定個人の意見を変えたいとは思っていない。

はてなハイクより転載)