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ゲームマーケット2019秋出展予定

『天気の子』は梅雨明け前にみてほしい

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公開初日に地元の映画館で鑑賞。うちの近所は、まだ梅雨が明けてない。今日も雨。それが、ものすごくよかった。

本来7/19公開というのは、梅雨明け直後の、長雨の記憶もありつつ真夏が始まった開放感にあふれる環境を狙っていたのだろう。監督がインタビューで答えている通り、本作はすごく批判される要素の多い映画で、だから映画会社は、梅雨が明けてから公開したかった。映画館を出て、雲ひとつない晴天という現実に直面すれば、フィクションはフィクションとして大多数の観客が許してくれる、という計算だったと思う。

でも現実には、雨が続いている。しかも最初の週末は台風が迫る。映画と現実が、対比ではなく同化している。なんて奇跡。今だからこそ、自分も作中世界の一員となれる。主人公らの選択に巻き込まれ、わけもわからず悲惨な目に遭う、街の景色の向こうにいてスクリーンには顔も姿も出てこない、そういう人間になれる。そのうえで、主人公に対して、自分の態度というものを、心の中で決めることができる。怒ってもいい。赦してもいい。君らの責任じゃないよ、と考えてもいい。

別に、いつ映画をみたって、「入り込む」能力さえ高ければ同じことはできるだろうけど、今なら、私程度の人間でも自然とそういうことができて、それがなんだかすごい感覚だったので、気になる方は、梅雨が明ける前にみてほしい。

補記

自分は基本、映画をみるとき、主人公にも、その周囲の人物にも入り込まない。だって、明らかに自分とは違う価値観、考え方の持ち主なんだもの。「自分ならこうはいわない」「自分の人生にこんなことは起きないし、仮に同じ状況になっても、自分はこんなふうには反応しない」「もし自分が主人公なら、物語は始まりもしない」

だから、私は映画を、「映画の中に登場しない人物」の目線でみている。映画の登場人物を観察し、理解しようとはするけれど、共感はできない。できもしないことを、しようとは思わない。

感動はするよ。でも、究極的に、それは他人事に対する感動だ。ヒーローかっこいい。当然、自分がかっこいいわけじゃない。憧れ、そしてヒーローにはなれない自分への負い目。ヒーローが苦しむのは、私のような人間の期待を背負っているからだ。だから私はヒーローに「がんばれ」とはいわない。ヒーローが勝てば助かるが、負けても構わない。ヒーローが逃げたって、恨んだりしない。所詮、自分では何もできないのである。

ヒーロー映画に無責任な大衆は、よく登場する。私は、その中にいない。黙って救われ、黙って犠牲になる。ヒーローに喝采を送らず、失敗を責めもしない。

私はあまり恋愛ものはみないが、主人公の恋が成就しようと失恋しようと、どちらでも構わない。私の人生には、まるで関係ないし、共感できる要素も、ほぼない。ただ、ひとりの赤の他人として、それぞれの人が、それぞれの幸せを得られたらよいと思う。