アロンアルフアに怠慢なし

リンクされても通知が飛ばないので、気付かないんだよね。今回もたまたま、はてブを「deztecjp」でエゴサーチしたら、記事を発見できただけであって。ちなみに、はてブエゴサーチは、年に数回、不定期にやってます。

いろいろご説明いただいてますが、話がすれ違っているように思うので、私の側の意図をもう少し詳しく書きます。

私は、「アロンアルフアとコニシボンドの馴れ合い怠慢コンビにより、セメダインが割りを食う縮図」というweepさんのコメントを、「アロンアルフアが注意喚起をサボっているから、セメダインだけが真面目に注意喚起をしなきゃいけない」といっているのだと解釈しました。

だから、アロンアルフアはむしろ、以前から明確に注意喚起をしていますよ、とレスしたのです。

それに対する、今回の記事におけるweepさんの説明は、こうでした。

アロンアルフア東亞合成が開発をし、ボンド木工用のコニシが販売している「ボンド・アロンアルフア」と言うブランド製品があります。知ってる人は知っているやつです。

これは、70年代からお互い業務提携を結んでおり、同業他社でありながらも、得意な役割を分担し認めあい親密な関係を築いている証でもあるわけなのでしょう。

創味シャンタンを家庭用に小出しした味覇を別会社が口約束程度で売ってたらしいけど、現在では諸事情でそれがなくなった事例があったり、はたまたヤマザキナビスコ的なことを考えたら、長期的にこの親密さは素晴らしいこととは思いませんか?

その親密さに立ち入れずにミソッカスみたいに仲間外れにされてるセメダインと言う図式がなんだか悲しいですよねって言う皮肉と言うか嫌味を少ない文字数で書いたわけなんですよねぇ。。。

 これだけでは「馴れ合い」の説明にしかならず、私が中傷と判断した「怠慢」も、根拠がないと考える「セメダインが割を食う」も、抜け落ちたまま。

アロンアルフアにどんな怠慢があって、セメダインがどう割を食ったというのか。

怠慢なきものを怠慢と非難し、実際には何の被害も発生していないのに有害な存在であるかのようにいうことに、問題がないとは思わない。個人のそうした発言が許されないとまではいわないが、私がそうした発言を批判するのもまた自由の範疇。

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商品名の不正確については、私は重視しない。weepさんは重視する。その違い。

weepさんが不快に感じて強い言葉で指摘することを、おかしいとは思わない。そこが気になるという方も、当然いるでしょう。でも私は、大したことだと思わないので、淡々と修正しておきました。

修正した事実はidコール付きのブコメでお伝えしたので、「こっそり修正」の類ではないと、私は思ってます。個人的には、ブコメの訂正は黙ってやって構わないと考えていますが、今回はweepさんに配慮して、ふだんとは異なる対応を取りました。

もちろん商品名は正確に書いた方がいいだろうけど、アロンアルフアのアルフアはアルファシアノアクリレートに由来するそうだし、CMを見ても音は「アルファ」。なんで商品名で小文字を避けたのかは、よくわからない。ァとアの違いが、そんなにカリカリするような話だとは、私には思えない。

まあ、weepさんからすれば、私が「馴れ合い怠慢コンビにより、セメダインが割りを食う縮図」を批判することの方が、そんなにカリカリするような話だとは思えないでしょうが……。何を気にするかの個人差ですね。

ちなみにキヤノンの場合、単に見た目の趣味でャをヤにしたのだという。なのでキヤノンも発音はキャノン。だから、というわけでもないだろうけど、キヤノンをキャノンと書かれて怒るキヤノンの人には会ったことがない。学生時代にリクルーターとしてやって来た卒業生の会社説明資料でも、キャノン表記になっていておかしかった記憶がある。

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中傷かどうかは、むしろ第三者が判断すること。

名誉棄損罪、侮辱罪、信用棄損罪、業務妨害罪など、誹謗中傷に関する罪はいろいろありますけれども、信用棄損罪と業務妨害罪は親告罪ではありません。当事者が「別にいいよ」といっても、関係なく罪は成立するわけです。

逆に、人並外れて傷付きやすい人がいて、些細なことで「中傷だ!」と訴えても、結局、社会がそれを中傷と認めなければ、それは中傷にならない。名誉棄損罪と侮辱罪は親告罪ですが、原告がどれほど強く訴えても、第三者である裁判所が却下することは、ふつうにあるわけですし、私はそれは「正しい」と思ってます。

私は名誉棄損罪が成立するような場合に限って「中傷」というわけではなく、もっと幅広く「中傷」と呼んでいるけれども、これは言葉の定義の問題で、「中傷」は言葉として強いので、もっと限定して使用すべきだという意見もあるでしょう。

ただ今回、weepさんはそういう反論ではなく、「中傷かどうかは当事者が決める」説を主張されているので、それなら私は「全く不同意」であり、何ら配慮するつもりはありません。

念のため。法律がどうとか、現在の日本の社会で多数派がどう考えているかとかそういったこととは関係なく、weepさんが独自の主張をされるのは、当然に言論の自由の範疇だと思います。

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あと、「粘着」の定義もweepさんと私とでは違うようですね。

私は、相手が何も反応しない状況で、何度も何度も批判を続ける(これが私の考える「粘着」)ということはしない。

間違っていると思うことについて、1回は批判する。それに対して何らかのレスがあれば、レスに気付いた段階で、こちらも再応答するかどうか決める。

話題自体が古かろうか新しかろうが、いま初めて読んだ記事に対して、いまレスすることを、私は「粘着」とはいわない。weepさんのレスに、私は今日、初めて気づいて、初めて読んだ。そして、今日読んだ文章に対して、今日の考えを書いた。

こういうのを、私は、「先月の話を蒸し返して粘着」とはいわない。

古書店や図書館で古い本に出会って、それを読んで批判的な感想を書いたら、weepさんの定義だと「粘着」ということになってしまう。別にそういう定義を採用する人もいていいけれど、私はその定義に同意しません。

あと、上記の通り、以前のレスも、今回のこの記事も「思い出し怒り」とは関係ない。エゴサでweepさんの記事を発見して読むまで、この話題のことは忘れていたのであって。いま思うことを、いま書いただけです。

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私の考える「粘着」はもうひとつあって、それは、過去の失点を延々と持ち出し続けること。朝日新聞の記事に気に食わないものがあるのを見つけるたびに「珊瑚」「KY」を持ち出すとか、そういうの。

その話題について語ること自体は構わないけど、今はその話をしてないよね、っていう。人を黙らせたいだけ、攻撃したいだけ、的な。

はてなハイクより転載)