「関係者を通じた取材」は必要悪

私の母が1979年に強盗の被害に遭い、即日犯人逮捕に至った時の話をすると、このときは警察が間に入ってくれた。マスコミ各社に、被害者が直接に応対するのは負担が大きいから、質問をまとめてくれて、それに書面で回答したわけ。

マスコミが直接に取材して、なおかつ負担を小さくとなると、記者会見を開くしかない。マスコミはとにかく数が多く、いちいち取材を受けるのは無理。誰かが間に入って、適当に取材を圧縮しないと、時間的にキャパを超えてしまうのです。だから、新聞でもテレビでも、関係者越しの取材になるんですよ。

どうしても直接の取材が必要だと判断すれば、当たり前のようにメディアスクラムが起きるわけです。そして、そういう判断をした以上は、通信社の代表取材に限定して、他社は引き下がるというわけにはいかない。代表取材でいいなら、関係者を通じた取材だって、程度の差でしかないわけです。なんで他所の人間を信じられるの?っていう。

報道というのはそういう風にできているのだと、日常的に新聞を読んでいる者としては了解しているので、朝日新聞の例の件は、信頼できない関係者を信じてしまったミスだと、私は認識しました。でも、誰が信じられるかなんて、百発百中で当たるものではない。だから、ありうる事故が起きただけだと、日常的な新聞読者としては、そう思う。

捏造だといって騒ぐ側に与しないのは、そういうわけです。何でもかんでも直接にコメント取りなんて、できるわけがない。それをやってはいけない。読者がそんなことを望むのも、いけない。むやみやたらと、メディアが押し寄せる範囲を拡大すべきでないからです。

時々、事故が起きるとしても、人伝の取材でOKとすべき領域はある。事故が起きていいとはいわない。事故は起きない方がいいに決まっているし、可能な範囲内で、事故を減らす努力は必要。しかし、「事故が1件も起きてはならない」といえば、弊害の方が大きい。私は、そう思います。

追記(2017-05-04 03:26:06)

一件だけ見れば、仰るようなご意見になるのは、私も理解できますが、ようは打率の問題だと思うわけです。

母が警察を通じて出したコメントに対して、いちいち電話で「あのコメントは正解か」なんて確認を求められたら、強盗に首を絞められて病院で寝込んでいた母は、確実にパンクしていました。では、そんな状況に配慮して、直接に取材できないなら、警察の「犯人を逮捕しました」の発表だけで記事にすべきだったか。

そもそも母が病院で寝込んでいることを、母自身が全マスコミに説明することは不可能。ここで父が代理で対応するなら、ここでもう、親族による代理が登場してしまいます。父がふだん、母の意見を誤解することがないかといえば、むしろ誤解しまくっている。でも、マスコミはそんな父を信じるしかない。本人しか信じられないといって、母に直撃取材するようなことを、誰が望むか。

そして父も、当時は残業の多い会社員だったのであり、マスコミ対応をする余裕など、正直なかった。それで警察経由でコメントを出した。これに関して、警察なんか信用できるか、といって、マスコミが父に取材するのが正しかったか。私には、とてもそうは思えない。

現在の報道が過剰であって、本当はマスコミはこれほど多くの出来事を取材し、ありとあらゆる方面から「コメント」を集める必要はないのだと、情報の需要者が本当に了解しているなら、まあ、いいですよ。でも、そうではないと思う。どこかの新聞社が率先して、間接取材を一切やめます宣言をして、競合他社と比較してペラッペラの記事しか出さないようにして、それで生き残れるとは、私には思えない。

私自身、「9割くらい信頼できればいい」と思っている新聞の購読者です。実際には、今回の騒動のような問題が起きるのは、まあ肌感覚ですけど、1%程度に過ぎない。毎日、毎日、関係者を通じたコメントがたくさんたくさん紙面に載っているんです。そんなもの信頼できるか、直接取材しろ、と、私はいうつもりがない。

はてブを見ていると、「また捏造か!」となるのかもしれませんが、分母となる記事の量がとんでもなく多いんです。問題の件数そのものよりも、その割合を、考えるべきだと思います。

繰り返しますけど、問題の一つ一つは、そりゃ良くないですよ。報道に間違いはない方がいい。間違いがあれば、批判はされて当然。でも、はてブで主流になっているような、ああいう叩きには、私は与しない。無理をいっているとしか思えない。

なんていうか、たぶん私のような者が、新聞社を存続させているのだとわかってほしいんですね。はてブみたいなところは、新聞社にロクにお金を落としていない方が大半でしょう。そうした方々が、過剰なことを新聞社に求めている。そんな主張を真に受けたら、新聞社は存続できないですよ。

じゃあ潰れろ、今の報道にどれだけ需要があろうが、知ったことか、俺は許さない、などといわれるかもしれないので、以下、別の説明を試みます。

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「学校VS母親」という問題があって、母親の方は、直接のマスコミ対応をしていない。朝日新聞河北新報も、いずれも間に人を入れて取材している。それはもう、当然だと、私としては繰り返すしかない。取材する側に、あと1週間の時間的猶予があっても、直接の取材はできないと思う。無茶をしなければ。

強盗の被害に遭った私の母の例では、被害者なんだから、無理に直接の取材をしなくてもいい、と思われるかもしれませんけど、私の身近な例が他にないからその例を出しているだけの話で、別に学校と私の母が紛争を起こしているケースでも、同じことなんです。個人が直接、各マスコミに対応するのは無理がある。その無理をやったら、個人の生活が成り立たないんです。

取材は圧縮しなければならず、そのためには、当人が取材の電話に出たり、記者と直接会ってはダメなんですよ。間に人を入れるからこそ、取材の圧縮が可能になる。取材する側も、この人に食い下がっても仕方ないとわかるから、事務的なやり取りができるのです。

で、素人がその代理人となって取材に対応する場合、「信頼できない代理人」が悪意なく誕生することは、当然に想定できるのです。

だから直接取材でなければダメだといわれると、ここで話は堂々巡りになってしまう。まあ、結論を共有する必要はないので、堂々巡りでも構わない。私は私の意見を書きます。読むだけ読んでいただければ幸いです。

私は、ここで、マスコミが直接取材に固執する必要を感じない。弊害の方が、明らかに大きいと、私は判断するからです。1%程度しか発生しない問題を0%にするために、マスコミが直接取材に断固こだわるなら、世界中で報道被害が激化します。

例えば、今回の話題のように学校と個人が戦っているとき、マスコミの取材が個人を叩き潰すことになる。個人は膨大なマスコミの直接取材に対応できないからです。個人は個人であるがゆえに、24時間個人で応対しなければならない。当然、生活が破たんしてしまい、学校との闘いにも体力面で負けてしまいます。

報道によって、マスコミ自身が、問題の当事者になってしまうという問題は、今だって重大ですけれども、直接取材への固執は、その害を圧倒的に大きくしてしまいます。そうまでして、直接取材をすることに、意義があるのでしょうか。

繰り返しますけど、朝日新聞の一つの記事だけを見たら、「なんで当人に確認しないんだ?」というのは、わかりますよ。でも、新聞社も雑誌社もテレビ局もフリーランスの記者も、取材に来るのです。最初は1社だけかもしれませんけど、話題になれば、すぐに大挙してやってきます。

直接取材できないなら、記事にすべきでないと、そういった場合に、本当に損をするのは、やはり個人の側なんです。学校は組織力で、取材に応じることができるわけです。

企業VS個人とかでも同じです。個人は、直接取材には応じられない。特別に一人の記者だけ贔屓にして、みたいなことはできますけど、直接取材主義でいうなら、その一社だけしか、個人の側の主張を報じることはできないではありませんか。圧倒的多数のメディアは、直接に取材できた、企業の側の主張ばかり報じることになってしまう。それでいいのか。

あるいは、双方に取材できないなら記事にすべきでない、とする。この場合、紛争の一方が個人なら、その紛争は記事にならないことになる。社会的には、存在しないも同然ということになってしまう。それでいいんですかね。

確率的に発生する問題事象について、確率を下げる努力は必要ですけど、本気でゼロを目指したら、むしろマズい結果になることって、いろいろあるわけです。代理人への取材という手法の禁止も、その一つだと、私は思います。

なんでか、金を出してない人が、いちばん新聞を信頼したがっている。新聞なんてのは、そこそこ信じられる程度のものでしかないんです。関係者を通じた取材は必要悪であり、その結果、一定の事故は起きるけど、読者としては、それでいい。もともと「そういうこともある」と思って、鵜呑みにせず読んでいるんだから。私はそう思います。

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ネット時代なんだから、ネットにコメントを出してもらえばいいという意見もあるでしょうけど、その主張を裏取りなしで報道していいのか問題とか、本当にそれが当人の言葉なのかどうかの確認はどうするの問題とか、あるわけです。

結局、マスコミが一斉に「裏取り」取材をすれば、個人の人間関係は破滅します。個人の周辺にいる人々も個人であり、膨大なマスコミの取材に応じられないのは、当人と変わりがないからです。

マスコミは結局、どこかで「手ぬるい取材」を良しとする他ない。

原理的には同じだけど程度の差はあるので、代表取材で良しとすべきでは? という感覚は、私にもあります。実際、これは、ある程度までは、実現していますよね。なんで新聞社が雑誌の記事をただ紹介することがあるのか、自分でも取材して雑誌記事のファクトチェックをしろ、みたいな意見がはてブではよく出てきますけど、みんながそんなことをしたらどうなるか、考えてみてほしいんですね。

よその報道を孫引きして紹介するに留める、というのも、真っ当な判断の一つだといえるケースが、かなりあると私は思っています。

と同時に、地方新聞社のように、絶対的に取材力が足りない場合はともかく、全国紙や大手のテレビ局が、「これは」と思ったことについて、そう簡単に代表取材を良しとしないのも、当然だと思います。

それでも、代理人への取材よりかマシじゃないか……と思うかどうかが、意見の分かれ目ですよね。小さな問題はともかく、大きな問題は1%くらいしか生じなくても、それでも代理人取材はダメなのか。あるいは、それくらいの確率なら、安直に代表取材とするより、むしろ各社が自主的に取材する方がいいのではないか。

もう、説得できるとは思っていませんが、私は後者を支持するわけです。

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あと、河北新報の側は、たぶん正しいんだろうと私も思います。でも、「たぶん」の域を出ない。河北新報だって、関係者にしか取材できていない。現時点では、何か続報も出ているかもしれませんけど、はてブでワーワーいいあってた時点では、「人伝の情報VS人伝の情報」でしかなかった。なんといいますか、人伝の情報ではダメだといっている側の、ダブスタを感じずにはいられませんでした。なんで河北新報を一方的に信じるのよ?と。

朝日は記事を訂正したじゃないかといっても、本質的には何も訂正していなかった。もともと記事本文において関係者を通じての取材であることは書かれていて、その上での「母親のコメント」だったものを、それでは誤解する人がいるというので、言葉を補っただけ。でも、元の書き方って、新聞をふだん読まない方には不十分に見えたかもしれないけれど、「いつもの書き方」なのです。

私の母のコメントも、直接には何も注釈なく母の言葉として新聞に載ったのです。しかし記事中には「警察への取材による」といった言葉(だけ)があるので、それは警察経由で発表されたコメントであって、新聞社が直接に話を聞いたのではないと、読者にわかるわけです。わからない読者もいるかもしれないけれど、誰にも誤解されない記事など書きようがないわけだから、一人でも誤解するならダメだという話にはならないわけです。

はてなハイクより転載)