森友学園の土地問題:雑感

1.

私は国会への証人喚問等については、反対していません。最初のブコメでも、「「土地問題だけ」に注目し、批判するのって、そんなに難しいことなのか?」と書いている通り、土地問題の疑問は解明されるべきでしょう。

ただ、地価が安すぎるとは、私は決め付けていません。政治家の口利きがあったとも、決め付けていません。

仮に「口利き」があったとして、贈収賄絡みでなく、権力の濫用でもなければ、それ自体は政治家の本来の仕事の一部ではないかとも思います。河野太郎さんが、大学の教職員から意見を募って文部科学省に問い合わせをし、一部の事柄については事実上の指示まで行っている、そういうことと何の違いがあるか、という話になります。

地価が不当に安いという前提を置けば、なんでもかんでも悪いように見えますが、その前提はまだ、証明されていません。

言い分は、わかった。まあ、ありえない話ではない。市民感覚には全く響かない内容だが、起訴に至らない可能性は、大いにあるように思った。ただまあ、それとは関係なく、炎上は必至。学園運営は苦労しそう。

これが、私がはてブ森友学園に触れた最初です。その後、何ら決定的な証拠が出ないまま現在に至っており、基本的に、私はこのスタンスのままです。

2.

あるいは、結果的に地価が割安だったとして、ゴミを全部掘り出してから実費を請求するという手続きでない以上、見積もりが実績と一致しないことはありえる。そこに「当然に搾取の犯意を見出す」ということを、私はしません。見積もりで仮契約するが、最終的には実費で精算・本契約する、といった仕組みに変えるべきだ、というのが、本来あるべき議論なのかもしれませんよね。「悪党がいた」とは、限らない。

頭の中で、役人が政治家の意向を忖度したのだ、これは権力の濫用だ、政治家が国有財産を不当に安く支持者に譲り渡した、これは背任だ、浮いた土地代が政治家にキックバックされていないか、もし裏金になって回っていたら贈収賄事件だ、とかいろいろ、想像を膨らませるのは個人の自由なのですが、疑惑の段階で、どこまでそれを公言するのが妥当か、各自、よく考えてほしい。

私としては、まず、地価が本当に「不当に安い」のかどうか、ちゃんと事実ベースで調べてもらいたい。粛々と、そこのところを調べてほしいのですよ。いま私は「安い」という予断を持っていますが、事実によって反証されれば、撤回する用意はあります。

地価問題についてのスタンスは上記の通りですが、今回のやり取りの出発点であるブコメについていえば、森友学園がヘンな学校であるということが、当該記事の内容であるわけです。そういう記事に大勢のはてブユーザーが集まって、叩きコメントを寄せている。私は、朝鮮学校叩きと同じく、それを「支持しない」と申しているのです。

森友学園がどんなに素晴らしい学校でも、不当に安い価格で国有地を入手していいことにはならないでしょう。それなのに、今すぐ叩けることとして、森友学園の「異常さ」がターゲットにされている。私は、そういう状況を、好ましく思っていません。

追記(2017-03-06 23:02:56)

penguaholic さんの、物の見方は、わかりました。

まず私は、「状況証拠では黒」という発想を、原理的に否定します。和歌山カレー事件など、日本の司法では有罪となりましたが、私は判決不支持です。世間がそのような考え方をいつまでたっても捨てないから、冤罪はなくならないし、逮捕の段階で人生が大きく棄損されてしまうような社会が改まらない。

また、検察が動くような話かどうかも、疑問を持っています。浮いた土地代が裏金となって政治家に還流されているとかいう話なら、検察案件でしょうけれども、そうした線は今のところ一つも浮かんでいませんよね。単に廃棄物の量と処理費用の検討を誤った(or怠った)という「無能」で説明がつく話のようであり、強いていえば背任罪にあたるかもしれませんが、その場合、立件は容易でないと思います。「無能」は刑事罰に馴染まず、何らかの故意の立証が必要であり、わかりやすい金銭的利益の還流などがない限り、それは簡単ではないからです。

司法の捜査ではなく、国会での政府批判という形になるのは、「無能」に起因する問題への対処法として正当であり、だから私は国会での政府追求には大賛成です。証人喚問も、やればいいんじゃないですか。

ただ、政府の無能を批判するなら、他にもいくらでも大きな問題があるわけで、有力政治家を追い落とすスキャンダルを探すという目的で、森友学園問題を大きく取り上げることには、疑問なしとしません。

とまあ、私の考えをつらつら書いてきましたが、これで説得できるとも思えない。別に、penguaholic さんと私とで意見が一致する必要はないですし、同じものを見ても人それぞれ全く違うことを考えるものだな、と了解していただければ十分です。

追記(2017-03-06 23:55:07)

繰り返し述べている通り、そもそも「問題が本当にあるのか」について、私は、態度保留です。私は直感的には「その払下げ価格は安すぎるのでは?」と思いますが、自分の直感なんて、信じてません。まず当事者の説明・釈明を聞こうと思う。

でまあ、廃棄物の処理費用云々という説明が出てきたわけですよね。じゃあ次の問題は、廃棄物の処理費用の見積もりが過大だったか、真っ当だったか。

世間では、初手から「安すぎ」と決めつけ、廃棄物の処理費用を相殺したという説明にも、ロクに聞く耳を持たず、明確な反証にならない証言や「証拠」が出るたび「やっぱり」と自分の予断を強化する、そんな態度が蔓延しているわけです。

そして何より問題だと思うのは、悪意なり犯意なりの存在を、最初から決めつけていることですよ。私はこれまでの小さな人生経験から、悪意などなくても問題はいくらでも起きるものだと、痛感してきました。

政府が廃棄物の量と処理費用の見積もりを誤ったとして、それは担当者の無能と、チェック体制の不備で説明がつく可能性がある。この場合、政治的批判は免れませんが、刑事罰を検討するような事柄ではないわけです。

あるいは、仮に役所が政治家の意向を忖度したとしても、幅のある見積もりの中で、最も買い手に有利な数字を選んだだけなら、それを背任といえるかどうか、疑問なしとしない。

見積もりに幅があるのは、全部掘り返すということをしないで、一部を掘った段階で予想で見積もったからです。でも、不確定な要素のある見積もりなんて、それ自体は必要なものであって、一概に否定できない。全部掘ってから実費精算というやり方を、単純には採用できない場面は多々あります。

見積もりと実際の費用の差額が問題なら、差額を返還してもらえば済む話でしょう。そして、そうした差額精算の仕組みを、今後のために制度化すれば、いいんじゃないでしょうか。ただしその場合、従来は買い手が泣き寝入りしてきた、予想以上に土地改良費用が嵩んだケースについて、逆に請求がなされるケースも出てくるはずです。

ともかく、「政治家の圧力によって、政治家の支持者に、不当に国有地が投げ売りされた」というストーリーを、私は共有していません。可能性の一つとして、そういうものもあるけれど、現状では「証拠がない」としか。なので、司法が動くべき案件ではない可能性も十分にあると思うし、当面は議会で事実の追求を淡々と行ってください、と。

その結果、国有地売買の透明化や、見積もりと実費に大きな開きがあった場合の対応についての見直しなど、今後につながるまともな議論につながるとすれば、森友問題自体は、巨大な国家予算の中では些末な問題だけれども、国会で一生懸命に取り上げる意味もあるというものです。

なんでも頭の中で疑うのはいいですよ。疑いを公言することも、私は許容します。ただ、それが所詮は証拠のない疑いに過ぎないことに留意して、疑いの対象の名誉を棄損しないよう、十分な配慮が必要なんじゃないでしょうか。

はてブでは警察の見込み捜査や、マスコミのストーリーありきの取材や報道への批判が、よく出てきます。そういう視点は、まず自分自身に向けてほしいと、私は思っています。警察もマスコミも、私たちと同じ日本人が集まって運営している組織です。そこに見られる問題は、私たち自身の問題であることが多いのです。

追記(017-03-07 00:08:17)

少し補足すると、結果的に「政治家の圧力によって国有地の売却価格が不当に下げられた。そして政治家は見返りに金銭を受け取っていた」といった事実が暴かれる可能性はあります。

でも、「だから現在の追及の仕方は正しかった」ということにはならないんですよ。

先にストーリーを決め打ちして、それにそぐわない話には聞く耳を持たない、検証の必要すら認めない、決め付けで先回りして叩く、地価問題と直接には全く関係ないことであっても、疑惑の渦中にある人物や、組織に何かしら「ふつうではないこと」があれば「異常だ」「おかしい」といって叩く、疑惑の立証を待たずに社会的な排除を推進する……いま起きている、そうしたことを、私は支持しない。結果論で、チャラにはできない。法制度だけでなく、社会的な手続きも、ひとつひとつ正当なものでなければいけないと、私は思います。

個別の事柄に参加している方々が、現状のすべてを支持しているわけではないことは、私もわかっています。それらに反対している私だって、起きていることに「それを止められなかった」責任を有しており、他人事のように批判していられる立場ではないことも、わかっています。でも、だから何もいえない、いうべきでない、とは考えません。

追記(2017-03-07 00:50:08)

言葉足らずでしたが、ご指摘の通り、幼稚園については、教育方針を改めるか、幼稚園の認可を外れるか、その二択だと、私も考えています。現状維持はありえない。

また新設の小学校についても、塚本幼稚園で行われていたような教育をするつもりなら、小学校としての認可はすべきでないと、私も思います。

ただ、塚本幼稚園に関して、既にある違反を理由に即・認可取消というのが、世間では受けるかもしれませんが、私は穏当な運用を望みます。現状が改まることが大切です。教育基本法がないがしろにされていいわけはありませんが、懲罰的な運用が、唯一の解だとは思いません。

その一方で、教育基本法に違反しないような(広義の)学校しか、存在を認めないというような主張には、与しません。「将軍様」を讃える朝鮮学校もあっていいし、幼稚園の認可から外れるなら、塚本(幼稚園)が、現在の教育方針を維持してもいいと思います。多数派の市民が違和感を覚えないようなフリースクールなどだけが、存在を許されるんだ、とは考えない。

公的に大きな支援を行う(狭義の)学校があり、より小さな支援を行う(広義の様々な)学校がある、という状況を、私は望みます。

……というくらいの内容を、私はいいたかったわけです。

追記(2017-03-07 19:50:30)

私は「社会的制裁」を基本的に悪とみなしているのです。「社会をもう少し良くするために」は、人々が自らの確信だけに基づいて直接的に「悪とみなした対象」を攻撃することを、自制すべきだと考えます。

社会的制裁には、裁判のような一定の公正さを担保した事実検討の仕組みがない。証拠の吟味もない。penguaholicさんのように、限られた材料から得られた推論を、事実とみなして、性急に攻撃をする。そうして発生した被害は、最終的に被疑者がシロであっても、誰も補償しない。クロだとしても、攻撃されたことの一部がクロなだけで、大半は証拠不十分なままであることが多いが、一部でもクロとなれば、全ての攻撃が正当化されがちである。

社会的制裁にはルールがなく、毎回、参加者たちは感情の赴くままに暴走する。だから、同じことを他の主体がしていてもスルーなのに、制裁対象がやると叩く、みたいな不公平も横行する。やることなすこと悪意に解釈して叩くということも起きる。……私には、とても支持できない。

司法のプロセスの話なんか、私はしていない。「司法機関が動いていないのはおかしい」という主張について、「おかしいとは限らない」と述べたのであって、私の主題は、「政治家の圧力によって、政治家の支持者に、不当に国有地が投げ売りされた」というストーリーを自明視して、社会的制裁に加わる人々への批判です。

それが、ある状況を説明しうる有力なストーリーであることは、私も認めます。けれども、他のストーリーだって、ありうる。経験上、真実というのは、しばしば納得感のないものです。実際には割と起きやすい出来事を、人々が「可能性が低い」と思い込んでいた場合もあるし、本当に珍しいことが偶然に起きた場合もあります。ともかく、「一番ありそうな話」が即ち真実というわけではありません。

penguaholicさんにも、やってもいないことで非難された経験はあるでしょう。なるほど、自分がやったと考えるのが自然な状況ではある、でも実際には違うんだ、本当に自分はやってない。そういうこと、ありませんでしたか? ストーリーのもっともらしさなどで、攻撃の可否を決めていいわけがないんです。

「証拠なしに叩かない」ことで、悪党を制裁し損ねることは、当然あるでしょう。しかし、何がより重要か。私は、無実の者を誤って制裁することを避ける方が、より重要だと考えているのです。

追記(2017-03-08 07:56:06)

なんでそれが反論になると思われているのか、私にはわからないです。

憶測ベースでの叩きなんかしなくたって、批判はいくらでもできますよね。そして、国民が本当に解明を望む限りにおいて、問題を有耶無耶にしたままでは、支持率は下がるはずです。例えば、噂とか、裏取りなしの証言ベースで特定の大臣を黒幕だとかいう必要はない。

不透明な取引は、そこに十分な根拠なく悪意を見出さなくとも、「不透明である」と指摘するだけで、十分に批判として成立するはずです。

なお、これはただの揚げ足取りですが、選挙の間隔は憲法で決まっているので、選挙を100年おきにする法律は無効です。国民が憲法改正国民投票で賛成しなければ、成立しません。

また、選挙の間隔を100年に変更するのは、選挙をしないことと実質的に同義であり、民主主義の否定。だからそれを「政治の罪」というのは、私も理解できますよ。でも、森友学園の土地売買問題について、いわれているのは、そういう種類の「罪」ではないですよね。

***

現時点では、犯罪の存在が強く疑われるとまでいえる状況でないので、野党も証人喚問ではなく参考人招致を目指したのだと思う。

参考人招致は、出頭も証言も任意で、偽証罪も適用されない。ただ、ロクな理由もなしに欠席したり、証言を拒んだりすれば、当然に疑惑は濃くなりますし、証言の内容に後から間違いが見つかれば、偽証罪にはならなくとも、信頼は低落します。

なので、やる意味はある。

***

自民党は、土地売買価格が適正だったか調査中の会計検査院の報告を待つべき、との主張だそう。それはそれで、一理あると思う。

そもそも売買価格が適正なら、問題自体が存在しないので、国会へ呼び出す理由がない。「適正」という判断がおかしいという意見は間違いなく出ますが、それはもう買い手の森友学園には関係ない話です。

逆に不適正だとして、森友学園側に問題があったのかどうか、という話になる。全面的に行政側の手落ちだったと、会計検査院はいうかもしれない。その場合も、森友学園は問題と関係ないことになります。

だから現時点で森友学園の理事長を呼ぶのは、勇み足である、と。

報道でフィーチャーされている民間人云々という説明は、現状程度のフワッとした根拠で、民間人を参考人招致するのは不当、という文脈の話なので、過去にリクルートの江副さんを呼んだじゃないかとか、そういうのは、反論になっているようでなっていない。

売買価格が不適正で、その不適正な値付けに買い手の森友学園が関わっていたと推定できる根拠が揃ってもなお、民間人であることを理由に参考人招致に反対するとは、与党もいっていないわけです。

でも、会計検査院と国会で同時並行で同じことを調査してもいいわけです。例えば原発事故の調査は、国会、事故調、民間が並行していました。だから、理事長に何らかの嫌疑をかけて追及するというのではなく、売買価格が適正だったかどうかの調査を目的に国会へ呼ぶなら、筋は通ります。

実際に出たゴミの量、処理費用(の概算)を理事長は回答できるはずであり、その情報は「売買価格が適正だったか」を考える一助となりますから。

私は、会計検査院の調査と、国会での調査、両方同時にやればいいと思う。

はてなハイクより転載)