私は「0か1か」の議論をしていない

話を出発点に戻したい。

「程度の問題」という言葉をつかまえて、殺人という言葉の定義を持ち出して、「いや、0か1かだ」と zyzy さんは仰っているわけですが。

「差別」「格差」てのは、「社会から排除すべき差別」「あってはならない格差」というのが議論の前提であり、そりゃ「程度の問題」でしょうよ。

だから「殺人」が「社会から排除すべき差別」「あってはならない格差」比喩として成り立つ、というzyzyさんの主張はぶっ飛び過ぎていて、私には当初、全く理解できなかった。

だから、これはてっきり「殺人の人口比の発生件数」のことをいっているんだろうと好意的に解釈して、一連のレスをしたんです。

ところがzyzyさんは「殺人」という言葉の定義をいっているんだという。あらゆる「差別」はイコール「社会から排除すべき差別」であり、あらゆる「格差」はイコール「あってはならない格差」なんですか?

「殺人」については、「あらゆる殺人を許容しない」コンセンサスがあるから、言葉の定義と社会が許容するラインが一致している。「差別」「格差」は、明らかにそうではない。

「殺人」についても、0か1かではないのが、「発生率」ですよ。殺人をゼロにするためなら何でもしていいとは、世間は思ってない。自動車事故も同じ。事故そのものは悪という認識で一致しているけど、事故率をゼロにしようとは、世間は思ってない。かつてイギリスには赤旗法があった。人が旗をもって自動車を先導して歩け、という法律です。事故ゼロを本気で目指すなら、赤旗法を日本で復活させたらいい。でもしないですよね。

このように、「発生率」に着目すれば、「殺人」が「社会から排除すべき差別」「あってはならない格差」の比喩になる。「殺人」という言葉の定義自体では、比喩にならんでしょう。

zyzyさんが「殺人」という言葉の定義自体を論題にしたいなら、私は「それは比喩が不成立ですね」といって、初手から却下です。

これは批判のための批判ですよね。わざとバカなことをいっている。「個別の事件の捜査自体が、再発防止の効果も持つ」ことは私も認めますよ。で、それが何だっていうんです?

私が「現状以上の再発防止策は不要」といっているのはわかりますよね? 現状でも個別事件の捜査はしてるし、かなりの再発防止策をやっている。再発防止策の全否定なんかしてない。何度もいってるように、こちらは「程度の問題」を延々と話してるんです。0か1かの議論なんかしてない。

殺人事件が十分に減ったのは、再発防止策に効果があったからでしょう。本当はもう少し安全を譲って自由を拡大してほしいが、まあ現状程度は許容する。でも再発防止策の「上積み」には、毎回、強く反対していく。そういう話ですよ。

個別の事件捜査は今だってしているんだから、今後もやればいい。

追記(2016-09-05 16:19:14)

zyzyさんは、どこの法学に則っているんです?

私の学んだ法学では、zyzyさんのような立場は採用してませんけどね。ルソー『社会契約論』やロック『統治二論』も社会的なコンセンサスを無視するような話はしていない。むしろ常識や良識に訴えているのですが。

それに、法治国家功利主義からも共同体主義からも肯定されるわけで、「これが唯一の国家成立の原理」なんていえる理論はない、と私は認識していますが。

はてなハイクより転載)